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漢方トピックス

人気高まる「漢方」めぐるアジアの戦い 日本の戦略は?

わが家の薬箱に漢字があふれてきた。葛根湯(かっこんとう)に桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)。実家の両親の薬袋には猪苓湯(ちょれいとう)や麻子仁丸(ましにんがん)。十何年か前までは違った。○○リン、××ミン。片仮名の薬ばかりだった。
年を追って家々に浸透してきた漢方薬だが、生薬の最大産地である中国では国内需要が爆発的に伸び、供給が追いつかない。政府は一部生薬に輸出規制をかけた。近年は投機マネーによる買い占めが頻発。乱獲も絶えない。

生薬の8割を中国からの輸入に頼る日本はたまらない。中国市場に振りまわされないよう、日本の漢方メーカーの一部は中国以外に調達先を求めた。

最大手ツムラ(東京)は、国内需要を満たすべく東南アジアのラオスに自社農場を作った。今月初めに現地を訪ねると、38度の炎天下、地元農民200人が赤茶けた畑に種をまいていた。

「ベトナム、タイ、カンボジアなどを調べて回り、ラオスを選んだ。土壌が適していて、治安がよく、人手が確保でき、まとまった広さがあること。それらが決め手でした」。現地法人の神保智一社長(46)は話す。

最初の難関は不発弾処理だった。ベトナム戦争時、米軍が大量のクラスター爆弾を落として去った。危なくて開墾もままならない。農地に弾薬がないか確かめるのに3年を要した。

広大な農場で、栽培には年間延べ12万人もの労力を要する。近隣にはゴム園やコーヒー農園が多く、繁忙期には人手の奪い合いが避けられない。

ラオスの人々に漢方薬をのむ習慣はないものの、着実に現金収入の得られる職場は歓迎された。ツムラが中学校を寄贈したことも大きい。小学校を終えれば農業を継ぐほかなかった子供たちに、進学の道が開けた。

「収入面と教育意識の面で村が変わった。念願の高校併設も決まった」とソムプー・インティサン校長(45)。

7年前に定植した桂皮が昨秋、収穫にこぎ着けた。早ければ来年、ラオス産成分入りの漢方薬が初出荷される。

ラオスへの行き帰り、東洋医学のイロハを入門書で学んだ。日本の「漢方」と中国の「中医」に大差はないと思い込んでいたが、実際には相当な隔たりがあると知った。

理念先行の中医に対し、漢方は治すための実学。中国は脈を調べ、日本はおなかを診る。薬の配合も違う。

漢方をとりまく国際環境に詳しい慶応大学の渡辺賢治教授(55)によると、欧米の医療機関が盛んに東洋由来の治療を試みる時代を迎えた。とりわけ難治のがんや膠原(こうげん)病、アトピー性疾患といった分野で関心が高い。

東洋医学が脚光をあびるにつれ、中国が大変な熱心さで本家本元を主張するようになった。中国流を世界の標準にすえるべく、国際標準化機構(ISO)の会議に日韓を圧する大人数を送り込む。「国際中医師」という資格を欧米に普及させる。鍼灸(しんきゅう)を国連の無形文化遺産に登録したのも中国である。

韓国も負けじと自国の「韓医学」を世界に売り込む。対して日本は、政府に戦略が乏しく、役所の縦割り意識がじゃまをして足並みがそろわない。

今さら悔やんでもしかたないが、漢方の歴史をたどると、明治政府があまりに冷淡だった。脱亜入欧の時代、オランダやドイツの医学に目を奪われ、漢方の名医たちを路頭に迷わせた。

さらにさかのぼれば江戸の医師たちの命名センスが惜しまれる。西洋由来の蘭方(らんぽう)に対抗して漢方と呼んだ。それが受け継がれたわけだが、何ごとにつけ日中が肩ひじ張り合う現在、漢の字は中国を必要以上に利してしまう。

国際会議で日本代表が漢方のすぐれた点を詳述しても、中国代表の胸には響かない。「しょせん中国医療の派生だろう」「漢王朝の名を冠しているじゃないか」といった顔をするそうだ。

できれば江戸や明治の先達には別の名をつけてほしかった。「日方」はどうか。「和方」じゃダメか。漢方薬をのむたびむなしく代案を練っている。

(朝日新聞デジタル)